家 こんなこと

Category : こんなこともありました

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2013.10.14[月] 盛りだくさんの一日 その3 吉田幸雄先生の教え

朝礼が終わると朝食
食事の前の 
「はしとらば」
の 一場面が流れました

これぞ明徳 という一日の行事?です

「箸取らば」
というのは

食事をいただく前
吉田幸雄校長が
ご飯をいただけることへの感謝をこめて
当時の生徒(今もあるのかしら)に
吟じさせた
言葉です
「はしぃ とらぁばぁ
あめぇ つちぃ かみぃの
おんめぐぅみ 
きみとぉ みおやのぉ ごおん あじわうぅ」

「いただきます」
となるわけです

今日の食事をいただけることへの感謝
自然の恵み 神様への感謝
作ってくれたお百姓さんへの感謝
食堂のおばちゃんへの感謝
そんな気持ちを込めて
吟じておりました

その 懐かしい 懐かしい
「箸とらば」の風景が
ビデオにて 流されました

「箸とらば
雨 土 神の御恵み
きみとみおやの御恩味わう」

これ一つとっても私たちはなんと恵まれた
中学高校時代を過ごさせてもらったことでしょう

知らず知らずのうちに
尊い精神を 教えてもらっていたのです

当時は
軍隊方式で 嫌だと思えた
朝礼

昔風で ダサいと思えた
食前の感謝の言葉

どれも みな
今では 宝物のような体験です

ありがとうございます


参加してくださった
尾崎知事ほか 御来賓の方たちがみな
口をそろえて

「わずか 40年でこれだけの功績をなしえた学校が
あるでしょうか?」

立派なご挨拶

みなさん口をそろえて
短期間での功績を褒めてくださいました

吉田幸雄先生が
生前 こうおっしゃっておられました

「自分の学校が無くなるくらい寂しいことはない」


学校を作りたいという夢をかなえた先生の
次の課題は
その学校を どう繁栄させるか発展させるか
にあったと思うのです

有名にするのに
一番手っ取り早かったのが甲子園
スポーツで名をはせることが
学校を有名にする近道

その先生の想いは 見事に花開き

甲子園での活躍
琴奨菊を始め
今をときめく
松山ひできくん
横峯さくらさん

プロの世界で活躍できる誇らしい卒業生

スポーツ会で活躍することで
全国に名前が広がりました

スポーツ方面でだけ
有名となることへの
わだかまりを感じた時期もありました
在校生時代から 教職員気どりの私たちでしたから
卒業してからも そういう感覚だったようです

でも
今回 開校当初のビデオやエピソード 写真
を改めて見て 聞いて

御来賓の方々のおっしゃるように
今こそ
吉田幸雄校長の目指した
本当の意味での明徳の真価が
問われる時代を迎えているのではないかと感じました

心の教育が道しるべをなくしている今
そんな教育はどこでするのか
社会? 学校? 家庭?

今こそ明徳でしかできない教育を
その教育が素晴らしいと信じる教員 スタッフにより
実現してもらいたい
そして 明徳ならばできる
私たち卒業生も応援する

なんだか 急に そんなことを想い
心ふるえることとなった

40周年記念式典でした

吉田幸雄校長先生
ありがとうございます

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2013.10.13[日] 盛りだくさんな一日 その2 明徳初代校長 吉田幸雄氏を想う

我が母校 
明徳義塾中高等学校の創立40周年記念の式典に出席させてもらいました

当時
中学1年生60名
中学2年生30数名
で発足した 明徳中学校

私は
その中学1年生60名の中の一人です

造成途中のグラウンドは小川が流れていて
女子寮には洗濯機があったのかなかったのか
寮の裏山の小川で洗濯している写真

先日の式典 で 亡き吉田幸雄校長の写真を見て
とても とても 懐かしく思い出されました
一刻生涯
写真向かって左側の 黄金バットのような人物が吉田幸雄先生
右側が 初代理事長の 石本鉄造氏
一刻生涯

いつか このブログでも書いたことがありますが
私はかつて 2度この 吉田先生に
カスビン(力は入っていないビンタ)をうけたことがあります

でも そのことで 
親が文句を言うとか
私が落ち込んで自殺するなどということには まったく至りませんでした

いわゆる
愛の鞭であり
そのことを思い出すたびに
ほんわか あったかな気持ちになります


当時は完全全寮制でしたので
家に帰りたい
自由にテレビを見たい
飲み食いしたい
などなど 窮屈さへの不満はありました
が 
そんな気持ちを差し引いても
キラキラと光る 中学時代でした

先日の式典で流れた当時のビデオ
忘れていた思い出があふれ出てきました

毎朝の朝礼
女子も男子も 寮の旗を翻し
わっしょいわっしょい と駆け足で
運動場に集合

「体操の体形に  開け!」

という号令で
まるで 軍隊のように機敏な動きを見せて
きれいな隊列を組んでいました

ビデオでは一発で決まっていましたが

何度も何度も
「まだまだじゃあ」
とダメだしが出て
繰り返し繰り返し
行ったことを 思い出しました

だいたい
「体操の体系に 開け」
なんて フレーズ 何十年ぶりに聞いたかしら

そして
突如 始まる 石拾い
小川流れ 石ころ転がるグランド

その拾い方
校長曰く
「お銭やと思うてひろえよ」

ほらほら ちんたらするな
という乗りです

こんな日常ですから
グランドも生徒自身が作った感が満載なわけです

吉田幸雄校長の生徒指導は 抜群だったと思います

ある意味 
後から入って来られた教員やスタッフよりも
私たち在校生の方が
明徳魂が 深く大きかった
そう思っているから

新人の先生が ちょっとおかしなことをすると
生徒がダメ出しをするような
一風変わった校風でした

to be continued

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2013.03.31[日] 豚太郎 春野店にてラーメンを食べる

おとといブログからの続きです
************************

だから 何を言いたかったのかたというと

そう
ベンチウォーマー だったというところ
もともと運動神経のない私は
どんなに体力がついても

1年生で筋トレばかりしていては
バレーの技術は全く身につかず


小学校でバレーをやっていた
ちびっこバレー部員さんたちに
あっさり負けているわけで
それでも2年生の最初のころには
セッターとして試合に出してもらったりもしたのですが

はっきり言って
めきめきとついた体力のように うまくは行かず
バレーの技術は 下手くそのまんま
ほんとに バレー部というのが恥ずかしいくらいの代物

だから 3年生になったら
すご腕の2年生に席を譲り
私は ベンチに控えておったという次第でございます

だから ベンチウォーマーね


しかし
性格が真面目で声が大きく明るい
というところを買われ
副キャプテンなどという大役を仰せつかっておりました

今思えば
技術は無いが
どこか認めてやらないとというご厚意により
やらせてもらっていたのでしょうが

中学時代バレー部の副キャプテン
だなどというキャリア?が
大学卒業するまで
自分には運動神経がある 
と錯覚させる要因になっていたようです

とまた 横道にそれてしまいました

************
そう そんな 中学3年生のある試合の帰りみち
小腹がすいたチーム全員を乗せた車
運転するのは 当時の監督
数学の先生でした
たぶん 彼は 我が校に来て初めてのバレーボール体験
でもその熱血監督のおかげで
支部大会でさえ でるたびに初戦敗退だったチームが
もしかしたら 県大に出られるかもしれない
というところまで強くなりつつあった頃でした

おなかをすかせた
女子中学生を乗せた車 
運転する熱血監督

豚太郎 春野店にさしかかり
車が止まったときには
みな 大喜び 
何度も言うように
学校の食堂以外で食べるものは
その頃の私たちにとって たいそうなごちそう
大きな喜びだったのです

チーム全員にラーメンを注文し
ずるずると食べてる最中
見回すと 先生がいない

生徒全員におごった先生の薄い財布は
おそらく空っぽになっていたのでしょう

それに気づいた お店の方が
先生を呼びに行って
ごちそうしてくれたのです

ああ まるで 一杯のかけそば

あの店に行くたび
このことを思い出します

******************

とかなんとか
思いながら 本日注文したのは こちら
中華飯
立派な唐揚げ
唐揚げもついてた

そう これにチャーハンも付いてきたので
もちろん 全部食べ切れず
テイクアウトさせていただきました
言い訳するなら 2人前ですけれど・・・

ああ 飽食の時代

ラーメン一杯に狂喜乱舞し
喜んでいた あの頃を思い出せ


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2013.03.29[金] 豚太郎 春野店 まずは中学時代から語る・・・

本日 久しぶりに
豚太郎 春野店でラーメンを食べました

この店に来ると思いだす

あれは・・・
アタックNO1に憧れ
バレー部で・・・
ベンチウォーマー?をしていた
中学3年生のころ

全寮制という特殊生活をしていた私たちは
練習試合からの帰りに

ラーメンであれなんであれ
学校の食堂でないお店で外食をすることが
至極の喜びでありました
comemon2[1]

その日も
練習試合の帰り


私たちが中学1年生のときにできた学校ですから
バレー部も創部3年目

1年生のときには
筋トレばかりの毎日

2年生になって
少しボールに触れられるようになり

3年生のときにやってきたコーチのおかげで
試合に出ても たまに勝てるようになり

そんな時期だったかと思います

******************
入学直後ブラスバンド部での
(考えてみればまだ楽器がまったくなかったから
走ることしかできなかったんですね)
ランニングばかりの毎日がいやになり

ちょっと派手で楽しげに見えた女子バレー部に
横恋慕の私
隣の芝生は青いって
本当に楽しそうに見えたバレー部
・・・・・・・

しかし
あの楽しげな様子はなんだったの?
という感じで
1年目は
ボールに触れる機会は ほとんどなく
筋トレと基礎トレーニングの続く
バレー部というよりも 陸上部かサーキットトレーニング部?
のような 練習内容・・・
でも なぜか このころ止めようとも思わず

というか
トレーニングはけして好きではありませんでしたが

真面目を絵にかいたような私でしたので
やれ と言われたことをやる
するといつの間にか
体力がついてきて
日々の特訓が あまり苦痛ではなくなっていたのです
もちろん 楽しいわけではありませんでしたが・・・

どう考えても体育会系とはいえなかった
小学校までの私とは別人のように
根性と基礎体力のある根性のte-chanへと変貌を遂げていたのです

あのままブラバンに入っていたら
一生あんな根性と体力は持てなかったでしょう


まるで
「アルジャーノンに花束を」
の主人公のように
あのときだけ
とてつもない 馬鹿力と体力が備わって
もちろん私は何の薬も飲んではおりません

そして
中学卒業と同時に
ブラスバンド部へ入部したとたん
あっという間に
もとの虚弱な自分にもどってしまっておりました

日々の鍛錬の重要さを感じます

でも
はずみで入ったバレー部のおかげで

あの谷間から横浪スカイラインまで
駆け上がってもそんなに苦でない体力
あのころが懐かしい
もう一度 COMING BACK (-_-)/~~~ピシー!ピシー!


余談が長くなりましたが

そう その頃
発熱しても 元気なものですから
TERUNOはすごいね
と みんなから可愛がられていた(と自分では思っている)
あの頃
根性丸出しの元気者だったあのころ

どんぶり飯を3杯おかわりしても
スリムだったあの頃

懐かしい・・・・

あれ?
豚太郎の話はいずこへ・・・


本編は 明日お話することにいたします

to be continued






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2011.11.07[月] ボーリングと言えば

思い起こせば
大学時代
高校の友達との同窓会 そして ボーリング

中学時代にバレーボール部に入ったおかげで
おそらく 決定的運動音痴にはならずに済んだ私

実際 運動能力に長けているとは けして 思っておりませんでした
・・・が


小学校 
短距離走は そこそこ
長距離走は 全くダメ

運動会のとき 
短距離は ほどほどに走ることができたので
100メートルリレーで 
第一走者を努めたあと
アンカーも走らねばならなかったことがありました
しかも
女子12名しかいなかったので
一走 と 三走

最初の快走とは 打って変わった アンカーの走りに
みんなから「マラソンやんか!!!」とやじられたこと
覚えております
でもこのことは  まだ子供だったせいか
2回目だから 遅くてもしょうがないよ
みたいな ひらきなおりの気持ちがあったからなのか
傷心には至らなかったのです

そして
中学校  バレーボール部に入り 
来る日も来る日も 筋トレの日々
おかげで 基礎体力がばっちりついて

横浪スカイラインまで 駆け上がるトレーニングでは
いつも トップクラスで走れるようになっていました

思えば あの時だけですね
走ることが苦にならなかったのは

高校に入り バレー部を辞めてからは
小学時代に逆戻り
あっという間に
マラソンはできない体質にもどってしまいました

でも それでも 何度も言うように
運動は できる方ではないけれど
まったく できないわけではない
むしろ 中の上だと 
自分では 密かにそう信じていたのです

それが 間違いだと
あっさり 諭してくれたのは
だれあろう 
スポーツ万能の竹馬の友 Mちゃん
仲が良かったかどうかは別として
幼稚園から高校までずっと一緒の学校でした

そう
あの時も ボーリング場
ごっつい パワーのある彼女のスコアは 
当然ハイスコア
まあ 180を下ることはないですね

横で投げる私は
80とか よくて110とか(まるでゴルフのスコアみたい)
そりゃあ お世辞にも 上手とは言いませんが
ヨチヨチ

どうして あんなことを言ったのか
もはや その前後の言動は覚えておりません

T「わたし 運動神経 ないことはないよねえ?」

躊躇なく
M「うん 無い方やね(あっさり断定)」
躊躇なく

この日彼女に「無い」と言われて
その日から 運動神経が無いと 自覚いたした私です

幸い その時には義務教育も終了し
大学の体育の授業なんて
たいしたことはなかったので
なんの 支障もなく トラウマともならず
今日まで生きてこられました(大げさ??)

あれを 
中学 高校時代に言われていたら
精神に影響があったと思います
ともかく 
(いい意味でも悪い意味でも)素直で暗示にかかりやすいので・・・

よかった
その頃に
馬鹿な質問してなくて


to be continued

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